見どころ日本の誕生、邪馬台国、江戸幕府の崩壊から明治維新など、日本の歴史をわかりやすくまんがで綴った、歴史アニメーション・シリーズ!詳細情報1983~1984年に日本テレビにて放送された歴史アニメーション・シリーズが、HDリマスター版で帰ってきた!日本の誕生、邪馬台国、江戸幕府の崩壊から明治維新など、壮大な日本の歴史をわかりやすくまんがで綴った、子どもから大人まで楽しく日本史が学べる全52話。字幕:字幕なし音声:日本語(2ch)
エピソード(52)作品情報レビュー1 - 2021 - 4041 - 5224分プレミアム1 日本の誕生-原始時代の生活-今から数万年前の氷河時代、日本列島は大陸と地続きであった。人類は大陸から移動してきた獲物を追って日本列島にやってきた。これが日本人の先祖である。今から5000年ぐらい前に、人々は家を得て1ヶ所に集まって住むようになり、土器を使い始める。そして2000年ぐらい前になると人々は米を作るようになり、弥生時代へと変わってゆく。24分プレミアム2 幻の邪馬台国-女王卑弥呼-米を作るようになると人々の暮らしは豊かになるが、今度は土地と水をめぐって村と村が争い始める。強い村が弱い村を亡ぼして大きくなると、国ができ上がり、そして国と国とが常に争う時代になる。戦いに疲れた王たちは、それぞれの国を一つにまとめて大きな国を作ろうとし、邪馬台国が誕生。邪馬台国の女王・卑弥呼は優れた予言の力をもち、国々を従えてゆく。24分プレミアム3 大和朝廷の成立-古墳と大王たち-6世紀になると大和の国は王位を巡って豪族の間で争いが絶えなくなる。豪族たちは越前から男大迹王を迎えると、やがて大和を平定し大和朝廷が成立する。朝廷成立と前後して、大王や豪族たちを葬る前方後円の古墳が渡来人の力を借りて盛んに作られるように。中でも大きな力を有した仁徳天皇の古墳は、世界最大の土木工事と呼ばれるものとなる。24分プレミアム4 聖徳太子の理想-中国文化と仏教の伝来-6世紀半ばに、朝鮮の百済から大和朝廷に仏像とお経が贈られてくる。これが物部氏と蘇我氏の対立に発展。ここに登場するのが聖徳太子である。仏教に深い理解を示し、政治に高い理想を持っていた太子は、我が国初めての女帝・推古天皇を補佐して、官位12階、憲法17条を制定し、中国の進んだ文化、政治を取り入れて国家の基礎を作っていく。24分プレミアム5 大化の改新-中大兄皇子と藤原鎌足-聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏の勢力が強くなり、蝦夷・入鹿親子が横暴を働き始める。そんな時、中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が出会い、二人は力を合わせて蘇我氏親子を亡ぼし、政治の実権を再び朝廷に取り戻す。二人は聖徳太子が理想とした天皇中心の中央集権国家を作るための政治改革を行っていく。24分プレミアム6 壬申の乱-新しい国家の誕生-天智天皇の後継者は弟の大海人皇子が最有力だったが、天皇の死後、大海人皇子と天皇の子・大友皇子の対立が激しくなる。遂に大海人皇子が大友皇子を亡ぼすと、都を飛鳥に移した後、天武天皇となり天皇政を始める。天武天皇の死後は、皇后が持統天皇として即位し、日本最初の本格的な都・藤原京を建設し、夫の天武天皇の政治をさらに推し進める。24分プレミアム7 大仏開眼-仏教文化と奈良時代-朝廷が都を奈良の平城京へ移すと、必要とされた莫大な費用と労力のために庶民が犠牲となる。仏教の信仰心が厚い聖武天皇と光明皇后は、こうした人たちを救うために施薬院や悲田院を作り、仏教の力を借りて社会不安を取り除こうと全国に国分寺を建て、更にその中心となる大仏を建立することに。24分プレミアム8 鑑真和上の来日-遣唐使と中国文化-733年、遣唐使船に乗っていた栄叡と普照という二人の僧侶は、唐の国から徳の高い僧を招くという大事な役目を預かる。苦労の末、やっと鑑真という高僧にめぐり会うが、鑑真の日本渡航は嵐により度々失敗し、6度目にやっと日本へたどり着いた時には鑑真はすでに盲目になっていた。24分プレミアム9 道鏡の野心-貴族と僧侶の争い-8世紀半ば、藤原仲麻呂が太政大臣として政権を握っていた頃、弓削道鏡という男が僧侶として頭角を現し始める。道鏡は大きな権力を手に入れ、ついに仲麻呂を滅ぼすまでになるが、天皇になる野心を持っていることを知った和気清麻呂は、一身を投げ出し打ち砕こうとする。24分プレミアム10 桓武天皇と平安京-坂上田村麻呂の蝦夷平定-7世紀半ば頃から長きに渡り東北地方の住民を支配しようとしていた朝廷に対し、地方民がはん乱を起こす。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷平定を命じる。その後、京都に平安京が誕生し、明治2年に東京に移るまで1100年に渡って続く都となる。24分プレミアム11 摂関政治のはじまり-燃える応天門-858年、藤原良房の孫に当たるわずか9歳の惟仁親王(後の清和天皇)が即位。そんな時、清涼殿の応天門が何者かに放火され、燃えるという事件がおきる。良房は対立していた大納言・伴善男を放火の犯人として追放し、臣下では初めての摂政の位につき、藤原一族の勢力は決定的なものとなる。24分プレミアム12 藤原氏の独裁政治-菅原道真の怨霊-藤原氏が朝廷と姻戚関係を深めて権力をほしいままにしていく頃、菅原道真は宇多天皇に認められ出世していくが、藤原氏は道真を九州の大宰府に左遷する。道真はここで2年を過ごした末、無念のうちに59歳で世を去るが、京都の北野天満宮が道真を祀り、学問の神様としても有名となる。24分プレミアム13 平将門の乱-立ち上がる地方の豪族-9世紀の半ばになると、地方では新しい土地を開墾して力を蓄える豪族たちが増え、関東からは平将門が現れる。朝廷や国司に長い間苦しめられていた将門は、新しい国家を作ろうとして天皇に対抗し、自ら新皇と名乗るが、間もなく国香の子の貞盛と藤原秀郷らに亡ぼされることに。24分プレミアム14 花ひらく王朝文化-清少納言と紫式部-ちょうど1000年ごろ、大陸の唐に大きく影響されていた日本の文化に独自のものが生まれ始め、漢字をくずした「ひら仮名」や「かた仮名」が生まれ、特に女性の間に広まり、天皇の妃に仕えた女性たちの中から清少納言や紫式部などの女性作家が現れ、小説や日記文学などが大きく花開く。24分プレミアム15 武士のおこり-荘園と藤原氏の衰え-平将門の乱の後に平忠常が起こした叛乱を、源頼信が討伐したのを機に源氏は関東への進出。その後、前九年の役・後三年の役に功績をあげ、朝廷でも大きな力を持つようになる、一方、白河天皇は藤原氏を政治から遠ざけ、荘園の整理を行い、都の警備に武士たちを使い始める。24分プレミアム16 保元・平治の乱-貴族と武士の争い-白河上皇の時から始まった院政は、1156年(保元元年)には、崇徳上皇と後白河天皇との間で深刻な対立を生み、やがて「保元の乱」に発展する。乱の後、平清盛は藤原信西と組んで勢力を得るが、これに反発した源義朝は、藤原信頼と組んで都を占領し、信西を討つ「平治の乱」が勃発する。24分プレミアム17 栄える平氏-後白河法皇と平清盛-平治の乱で大きく力をのばした平氏一族は、京都の六波羅に住みつき、平清盛は参議となり、藤原貴族に代わって権力の座につくように。清盛は平氏の権力を確実なものにするため、後白河法皇に取り入る。強大になった平氏の力を恐れた後白河法皇は、清盛を抑えようとするが、逆に鳥羽殿に監禁される。24分プレミアム18 源氏の旗あげ-源頼朝と東国武士-1180年、平清盛は娘の徳子が生んだ三歳の言仁親王を即位させる。安徳天皇時代の平氏は全盛期を迎えるが、平治の乱で伊豆に流された源頼朝は、北条時政のもとで時の来るのを待つ。そして頼朝が山木兼隆を討った後に兵を挙げたと聞いた関東の豪族たちは、続々と頼朝の元に集まる。24分プレミアム19 源平の合戦-義経の奮戦と平氏滅亡-伊豆で頼朝が兵を挙げた頃、木曽の源義仲は京へ攻め入る。更に後白河法皇の命令で平氏を一の谷で破る。1185年3月、壇ノ浦で源氏と平氏の最後の決戦が行われ、ついに平氏は滅亡。義経は後白河法皇から検非違使の位を授けられたが、頼朝はこれを許さない。24分プレミアム20 鎌倉幕府の成立-武家政治と封建制度-義経は鎌倉に入ることを許されなかったため、頼朝は鎌倉に初めての武家政権の幕府を開く。更に頼朝は義経を追討するために、全国に守護・地頭を任命。その頃義経秀衡の子・泰衡の裏切りにより、31歳の生涯を終えることとなる。その後、頼朝は藤原泰衡を滅ぼし、鎌倉幕府の力は東北まで行き渡る。24分プレミアム21 源氏の滅亡-北条政子と承久の乱-二代将軍・頼家は、伊豆に流され殺される。頼家の弟・実朝は三代将軍になるが実権は義時に握られ、北条氏による執権政治が始まる。その後、実朝は頼家の子・公暁に暗殺され、その公暁も殺されて源氏は三代で滅亡。後鳥羽上皇は幕府を倒そうとしたが失敗に終わり、隠岐に流されることに。24分プレミアム22 蒙古襲来-国難と北条時宗-1268年、元の皇帝フビライ・ハンは日本を征服しようと鎌倉幕府へ使者を送るが北条時宗がこれを追い返した為、1274年に元軍が攻め入る。幕府軍は苦戦したが、暴風雨によって敵は敗走。1281年、再び元軍が攻めてるが、また幕府軍の勝利に終わる。これが「文永の役」「弘安の役」である。24分プレミアム23 鎌倉幕府の崩壊-御家人の不満と広がる内乱-後醍醐天皇は幕府を倒そうとするが、計画が事前に漏れ失敗。1331年に再び倒幕の兵を挙げたがこれも失敗して隠岐島に流されることに。その後、楠正成や足利尊氏らは天皇に味方して京都の六波羅探題を制圧、新田義貞も兵を挙げて鎌倉を攻め、1333年ついに141年に渡る鎌倉幕府が崩壊となる。24分プレミアム24 建武の新政-後醍醐天皇の理想-後醍醐天皇年号を建武と改めて自ら政治を行うが、公家中心の政治は不満を生み、足利尊氏は鎌倉で兵を挙げる。後醍醐天皇は新田貞義尊氏討伐を命じるが、尊氏に破られる。楠正成は北島顕家らと協力して尊氏を九州へ追いやるが、勢力を回復した尊氏は湊川で楠正成らを破り、再び京都を占領する。24分プレミアム25 南朝と北朝の対立-足利尊氏幕府を開く-京都を追われた後醍醐天皇は吉野で仮の御所を開く。京都では尊氏の後押しで豊仁親王が即位し光明天皇となり、吉野の南朝と京都の北朝がつくられる。尊氏は北朝から征夷大将軍に任命されて京都に足利幕府を開くが幕府内での権力争いが絶えず、南朝と北朝の対立も以後60年続くこととなる。24分プレミアム26 南北朝の統一-室町幕府の基礎固まる-二代将軍足利義詮は守護大名の問題と、南北朝の争いを解決できないまま亡くなり、三代将軍になった義満は京都の室町に幕府を移して政治を行うことに。そして守護大名の中で大きな力を持っていた土岐康行らを潰し、更に南朝と北朝の統一を行い、室町幕府の基礎を固める。24分プレミアム27 室町幕府の繁栄-足利義満と北山文化-室町幕府の基礎を固めた義満は禅宗の寺を保護、そこから五山文学と呼ばれる漢文や詩文が生まれ、室町文化の特色のひとつとなる。1397年には京都の北山に金閣も作られる。更に1401年には中国の明に使者を送り国交を回復、1404年から貿易を始め幕府の財政は豊かになっていく。24分プレミアム28 ゆれる室町幕府-正長の土一揆-足利義満の死後、義持が四代将軍になると、弟の義嗣との争いから義嗣を殺害。義持は北山山荘を取り壊し、明との貿易を中止し、結果、幕府は財政難となる。六代将軍義教の時代から世の中は乱れ始め、1428年には農民や武士たちも加わって高利貸しや寺社を襲うという騒ぎが起きる。24分プレミアム29 応仁の乱-内乱と下剋上-8代将軍・足利義政の時代になると社会不安から一揆がしきりに起きるが、義政は贅沢な暮らしを続けたため幕府の財政はますます苦しくなっていく。幕府の実力者・細川勝元と山名宗全は、次の将軍に義政の弟・義視と義政の子・義尚をそれぞれ担いで対立する。24分プレミアム30 立ち上がる民衆-東山文化の輝き-応仁の乱の後、幕府の力は衰退し、人々の暮らしは一層苦しくなっていく。その状況下で土地を荒らされていた人々が各地で一揆を起こすようになり、これまでの社会体制は少しずつ崩れてゆく。その頃、足利義政は東山山荘を作り、銀閣に代表される東山文化が生まれる。24分プレミアム31 戦国時代の幕開け-北条早雲と毛利元就-応仁の乱の後、守護大名を倒して戦国大名となる者が増加する。北条早雲は兵を挙げ伊豆一帯を支配、土地の人々を大切にして国力をつけ、孫の氏康の頃には関東一円を支配する戦国大名となる。一方、毛利元就は大内家の内乱を機に中国地方を支配し、北条と並ぶ戦国大名となる。24分プレミアム32 鉄砲の伝来-キリスト教と西洋技術-1543年、九州の種子島に流れ着いたポルトガル人により鉄砲が伝わると、あっという間に日本中に広まり、戦争の形を根本的に変えていく。それから6年後、鹿児島に宣教師フランシスコ・ザビエルが渡来、ポルトガル貿易のため布教を許された宣教師たちはキリスト教やヨーロッパの文明を伝える。23分プレミアム33 戦国の群雄-武田信玄と上杉謙信-甲斐の守護大名武田信虎の子、信玄は金山の開発に尽力。一方、越後の守護代・長尾為景の次男、のちの上杉謙信が体の弱い兄に替わって城主となると、北陸一帯を平定。その後、関東管領となり上杉家を継いだ謙信は、北信濃に手を伸ばした信玄と川中島で争うことに。これが有名な川中島の合戦である。24分プレミアム34 桶狭間の戦い-織田信長と木下藤吉郎-尾張の織田信長は、尾張国守護代・織田信賢を滅ぼし尾張を平定。その頃、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、信長の草履取りとして仕える。さらに信長は今川義元の大軍を桶狭間で奇襲して倒し、松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃の斉藤龍興を滅ぼし、天下統一への足がかりを掴む。24分プレミアム35 革命児・織田信長-一向一揆と比叡山焼き打ち-美濃に移った信長は、足利義昭を将軍の座につけると、天下統一に乗り出す。経済力を蓄え、軍備を整えて徳川家康と同盟を結び、浅倉・浅井の連合軍を姉川の合戦で破る。さらに比叡山延暦寺を焼き討ちして滅ぼし、近畿地方一帯を支配。そして1573年、長篠の戦いで強敵・武田勝頼を倒す。24分プレミアム36 本能寺の変-英雄の最期-1576年、信長は琵琶湖のほとりに安土城を築き、城下町を作る。敵対する大名を次々に滅ぼして天下統一に近づく中、京都の本能寺で明智光秀の謀叛にあい、49歳の生涯を終える。信長の死の報を受けた秀吉は、わずか10日で京都へ戻ると山崎の合戦で光秀を破る。23分プレミアム37 天下統一への道-豊臣秀吉と徳川家康-明智を破った秀吉は、さらに柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、信長の跡を継ぐ地位を得る。そして大阪石山に大阪城を築き根拠地とする。1584年には、信長の次男・信雄が徳川家康連合軍と小牧・長久手で戦い、秀吉は家康と和平を結んで大阪に帰り、天下統一に向けて大きく踏み出す。24分プレミアム38 秀吉ついに天下を取る-封建制度の確立-秀吉は天正13年には長宗我部元親を降伏させて四国を平定し、島津義久も討ち九州を平定する。さらに、全国の田畑を正確に調査(検地)し封建制度を推し進めてゆく。また、キリスト教禁止令を出し、1590年には小田原の北条氏を滅ぼし、更に奥州の伊達政宗も従え、ついに全国統一する。24分プレミアム39 豊臣秀吉の野望-朝鮮出兵と安土桃山文化-全国統一を完成した秀吉は、領地拡大と名誉欲から二度にわたって朝鮮に攻め込むが、いずれも失敗に終わる。信長から秀吉に至る安土桃山時代に生まれた文化は力強く華やかで、その代表とされる城の天守閣は、城や書院造りの建物の中に絢爛たる絵や彫刻が施された。神社や寺でなく、人間の住むところに芸術の情熱が注がれたのがこの時代の特色である。23分プレミアム40 関ヶ原の合戦-家康と石田三成の対決-秀吉の死後、朝鮮出兵から戻った加藤清正は石田三成らと対立。家康はこの対立を利用して政権を得ようとする。1600年、三成は毛利輝元・宇喜多秀家らと共に8万の兵を挙げる。家康も福島正則や黒田長政など、反三成派の武将とともに7万の兵をあげ、関ヶ原で激突。戦いは家康軍の大勝利に終わり、家康は、全国制覇への大きな山を乗り越える。24分プレミアム41 家康江戸幕府を開く-大坂夏の陣と豊臣氏滅亡-1603年(慶長8年)、家康は朝廷から征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開く。2年後には将軍職を息子の秀忠に譲り、将軍職は徳川氏が続けることを天下に示すが、大坂城の豊臣秀頼が力を盛り返すのを恐れた家康は、慶長19年、秀頼が再建した方広寺の釣鐘の銘に言いがかりをつけ、大坂に攻め込む。24分プレミアム42 徳川家康の政治-幕府二百六十年の基礎固まる-豊臣氏を滅ぼし、家康は幕府の基礎を固めるために貿易に力を入れる。キリスト教を禁止し、徳川家末代までの繁栄をはかって「武家諸法度」を作るが、家康は1616年にこの世を去る。二代将軍・秀忠は家康の教えを引き継ぎ、三代将軍・家光の代で封建制度は完全なものとなる。24分プレミアム43 キリシタンの弾圧-鎖国と島原の乱-家光は、諸大名の謀叛を抑えるため、参勤交代制度を作る。また、家光はキリスト教の禁止を徹底し、「踏み絵」などでキリシタンを極端に弾圧。耐えかねた農民たちは、島原で一揆を起こす。キリシタンの天草四郎が中心となったこの島原の乱以後、幕府は宣教師の入国を恐れ、鎖国政策をとることになる。24分プレミアム44 士農工商-身分制度の確立と元禄文化-鎖国を完成させた家光は、士農工商という身分制度を作り封建社会を確立。四代将軍家綱、五代将軍綱吉の時代になると、江戸幕府はゆるぎないものになり、大阪を中心に町人や商人たちの中から井原西鶴や松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、浮世絵の菱川師宣が活躍、元禄文化が生まれる。24分プレミアム45 ゆらぐ封建制度-享保の改革と田沼時代-1716年、徳川吉宗が8代将軍になり大岡忠相を江戸町奉行に抜擢。吉宗は目安箱の設置や上米の令、新田の開発など、の享保の改革を行う。10代将軍家治の時代、田沼意次は積極的な経済政策を次々に実行するが、折から全国を襲った大飢饉のため失敗に終わることに。23分プレミアム46 江戸町人文化の開花-蘭学と国学-1787年、徳川家斉が11代将軍となり、補佐役になった松平定信は財政再建の改革を行う。この頃、オランダ医学の研究から発展した蘭学が始まり、一方で本居宣長らによって国学が学ばれるようになる。町人の間には里見八犬伝などの小説や、歌麿などの浮世絵など、化政文化が生まれる。24分プレミアム47 ゆきづまる幕府-北方探検と大塩平八郎の乱-1792年、ロシアからラックスマンが貿易を求め松前に上陸。幕府は諸藩に海岸線の防備を命じ、北海道の開発のため近藤重蔵らによる大規模な調査や、伊能忠敬による測量が行われる。その頃、全国的な飢饉が起こり、各地で一揆や打ちこわしが始まり、大塩平八郎は人々を救うために立ち上がる。24分プレミアム48 黒船来たる-井伊直弼と安政の大獄-1853年6月、ペリー提督率いる4隻の軍艦が浦賀沖に現れ、その武力を恐れた幕府は交渉に応じる。日米和親条約が結ばれ鎖国は終わるが、幕府のやり方を批判した斉昭や長州の吉田松陰は、大老・井伊直弼に処刑される。しかし、幕府の権威を保とうとする井伊もまた暗殺されることに。24分プレミアム49 尊皇攘夷-幕末の志士たち-井伊直弼の暗殺後、日本から外国を打ち払おうとする攘夷論が広まる。一方で尊王思想を持つ人々は攘夷派と結びつき、長州藩と薩摩藩の下級武士を中心に尊王攘夷運動が起こる。幕府は尊皇攘夷派を抑えるために朝廷と親戚関係を作り、公武合体策を推し進め再び幕府の権威を高めようとする。24分プレミアム50 攘夷から倒幕へ-薩長連合と坂本龍馬-下関で外国船を砲撃した長州藩は、尊皇攘夷の主導権を握り、京都にあふれたが、公武合体をすすめる幕府と朝廷は長州藩を京都から追放する。翌年長州藩が京都に出兵したのを機に、幕府は長州征伐を行う。外国船砲撃の報復で下関を占領されていた長州藩は、やむなく幕府に降伏。しかしその後、薩摩・長州両藩に討幕運動が起こり、坂本龍馬の仲介で薩長連合が成立する。24分プレミアム51 江戸幕府の崩壊-大政奉還と戊辰戦争-1866年、幕府は第二回長州征伐を行う中、この戦に苦戦している間に将軍・家茂が亡くなり、幕府は戦いを中止。15代将軍になった慶喜は幕府軍の増強を始めるが、孝明天皇が亡くなると慶喜は討幕派の動きを封じるため1867年、大政奉還をすることに。しかし討幕派は慶喜に将軍の辞任と領地の返還を要求し、旧幕府側を挑発して内戦(戊辰戦争)を起こす。24分プレミアム52 明治維新-新政府の出発-1868年2月、新政府は慶喜追放命令を出し、江戸を包囲。しかし、新政府軍は戦うことなく江戸城へ入城。その後も江戸の彰義隊や東北諸藩との間に戦いが続くが、函館の五稜郭の戦いを最後に国内は新政府軍によって統一される。江戸城に入った明治天皇は江戸を東京と改め、年号も慶応から明治とあらため廃藩置県や学校制度など新しい近代日本が始まる。1 - 2021 - 4041 - 52出演者永井一郎佐藤正治野田圭一藤田淑子増岡弘神谷明増山江威子青野武古谷徹プロデューサー野末和夫坂梨港茂垣弘道監督金子仁ジャンル歴史・時代劇©中部日本教映この作品に最初のレビューを書いてみませんか?他のユーザーにあなたの感想を伝えましょうレビュー投稿 / 編集